溢れ出る加齢臭

カレー臭に加え加齢臭が溢れ出る年齢になりました。

公共交通の利用促進で見落としているモノ

交通計画の世界では公共交通のサービスを改善すると自動車から公共交通への転換がいくらかは起こるということになっている。しかし、それはある集計したデータに基づいて算定した、自動車と公共交通の「コスト」(厳密には一般化費用)差と自動車と公共交通のシェアの関係を拡大解釈しているにすぎない。
実際に各個人が交通手段選択の際に自動車の利用を決めるのは「コスト」だ。都市内交通では自動車の選択に対して公共交通や徒歩、自転車と比較して選ぶなんてことはほとんどないだろう。自動車で行くのは費用的に妥当か?妥当でなければ他の交通手段を考えるというところではないだろうか。
電車で行くのが便利なところであっても、駅までの時間、待ち時間、最寄り駅から目的地へ行くまでの時間と手間を考えれば、道路が混んでいない、駐車場があるならばドアツードアの便利さを取って自動車で行くだろう。公共交通を使うのは、公共交通を使った方が負担が少ないから(時間的に・費用的に・肉体的に・精神的に)にすぎない。
歩いて10分のスーパーまで行くときでさえも、十分な広さと安さ(できればタダ)の駐車場があれば(使える人は)自動車で行くだろう。荷物を持って歩くのは面倒じゃん。雨の中、傘を差して歩くのは面倒じゃん。
公共交通の利用促進策を検討する際、「サービスをよくすれば、自動車から公共交通に移ってくれる」と考える。
しかし公共交通を便利にすれば自動車から公共交通に転換するというのは幻想に過ぎない。そもそも公共交通が不便だから自動車に移るのではない。自動車が使えるようになったから自動車を使うのだ。公共交通のサービスを良くしても、自動車の利用コストが変わらなければ自動車から移ることはありえない。