空気を読めない人
空気*1を読めない人には二通りがあると思います。
一つは、空気を読まない人。自分の関心事だけで発言、行動する人。
もう一つは、空気を読んでいるつもりだけど、読んだ結果出た発言、行動が場にそぐわなかった人。空気を読もうとしているけど読めなかった人。
僕は典型的な後者です。
昔は全く空気を読まない人でした。というか空気というものの存在すらわかりませんでした。
しかし、大学時代にさんざん「場が読めてない」と言われたから、自分で努力してみたんだけど、結果、前者から後者に移行しただけでした。
「空気を読めない人」の反対は何かというと「空気を読める人」ってことになるのだろうけど、「空気を読める」という評価をもらうためには、場の雰囲気を感じるだけでは不十分で、空気を読んだ後、起こしたアクションが場でウケるということが必要ではないでしょうか。
空気を読むということは、その後の何かの行動に対して何らかの作用を及ぼさないといけない、そしてそれが場にいる人達にわかるためには、実際に言うなり行動を起こすなりをしなければならないと思いますね。黙ってたらわからんし、何もしなかったらわからん。黙っている人に「空気を読んでますね」って評価したことありますか?
空気を読んで自重する人は、空気を読んでいるのではなく、空気を読みきれないから立ち止まっているに過ぎないと思うのです。
空気を読んでその場に合わせて相づちを打ったり、フォローするような発言をする人は、空気を読んでいるというよりは空気に乗って流れているに過ぎないと思います。
本当に空気を読んでいるのであれば、ここで何をすれば皆の想定を外し、かつウケるかということまで読み切らなければならないと思います。結果としてウケなかったとしても、自分の中では読み切らなければならない。場に合わせてもいけないし、場を進みすぎてもいけない。ひょっとすると別の方角から攻めるとウケることもあるかもしれません。正解は一つではありません。
僕に「場が読めてない」と言ってきた友人たちは、みな当意即妙のボケやツッコミをする人達でした。心底尊敬しました。中には読まなくてもウケる天才的な人もいましたが。
自分でも努力はしてみたけど、「今、これを言うと場に静寂を呼んでしまう」という雰囲気や、否定的な反応が返ってくることは想像がつくようになりましたが、何を言えばウケるのかはほとんどわかりません。見切り発車でしたこと、言ったことがたまたま受けたこともあります。何を言えばウケるのかが全くわからなくなった僕は、大学時代のサークルでは無口になりました。今でも飲み会や会話の場には居るけれど、ほとんどといっていいほど喋りません。ごく数人になったときに初めて口を開きます。でもオチがない。orz
今でも、この人は「空気を読んでいるんだろうな」と思える人は大学以降はごく数人しかいません。
それでも「場が読めてない」「空気を読んでない」というフレーズをよく目にする、耳にするようになったような気がします*2。30代女性会社員の気になるニュース:ハンサムだと、空気読むスキルが磨かれないことがある - livedoor Blog(ブログ)では、空気読むスキルについて述べられていますが、世間は空気を読める人だらけなんだろうかと思うと鬱になります。努力でどうすることもできないのではないかと。たぶん、努力が足りないだけですね。ってか、そう思わないと希望がない。
ただ、少なくとも「目の前の人がむっとしてるか、喜んでいるか微妙なところをかぎ取ることの積み重ね」程度のことで空気を読めるようにはならないと思います。